どういう感じの記事を投稿するかあまり考えずに初めて、とりあえず調べたことを書いたりしたけれど、
あんまり向いていない気がしたのでやめた。
私の場合、これを調べた!こうだと思った!と日記的に書くよりも、
ある程度「ふむふむ」と腹落ちまでできたことを書いたほうが良いと思う。
そもそも「これを書きます!」と決めてもあんまり続かない気がするので
その時々で思ったことを書こうと思う。おおむね近況振り返りです。
まず、最近仕事で抱いたもやもやをここに書いてみる。
愚痴を書き連ねてもこのサイトが呪物になっていくだけなので、
なるべくそうならないように気を付ける。(けど最後まで書いたらわりとなってしまった。)
デザインってなんだろうか。
私は未だに自分のことをデザイナーだと言えない。
私が思うデザイナー像と、自分が仕事でしていることに乖離があるのかもしれない。
よく、アートとデザインの違いで自分のためか人のためか、みたいなのがあると思う。
それはまぁ、ある程度そうだと思ってる。(ある程度、というのはそうじゃない時もあるだろうし、別に決め切らなくてもいいのではと思うから)
私が思うデザインは、何か世界を変えようとすることだと思っている。
課題解決かもしれないし、何かを伝える、メッセージを発信することかもしれない。
とにかく何か課題やメッセージがあって、解決できるよう、伝わるように「狙う」ことがデザインだと思っている。
だからデザインの依頼を受けるとき、何を目的に何をしたいのか、
何かを売ることが目的だとしたら、今回どういうアプローチにしていくかを聞きたい。
(本当は、企画提案含めてやりたい気持ちがある)
しかし今の仕事はこれこれこういう雰囲気のビジュアルを作ってほしい。という依頼がきて
そこに背景や目的、があったとしても踏み込むのは余計な事らしい。
できるかできないか、あとは出来上がりが感覚的にどうか、重要なのはそこ。
正直なところ、不毛だと思う。
これは誰のためのデザインで、成果はどこで何をもって測られるのだろう。
例えば売り上げが増したとしたら、どういうところが成功要因となるのだろう。
自分は何を作っているのだろう。そういう気持ちになる。
個人に依頼されて絵を描いたり何か作ったりするなら、
その人のことを良く調べて、複数案作って探ったりして、
アイデアがわかず苦しくてもベストな状態を見つけたいと思う。
それが自分のすべきことだと思える。
だけれど仕事では個人のために作るわけではない。
依頼主の先にいる不特定多数の誰かに届けるものをデザインする。
だからその不特定多数のことを知りたいし、
依頼主の視点で見た、エンドユーザーのことも知りたい。
そして依頼主が何をエンドユーザーに届けたいのか知りたい。
それが叶わず、自分は芯のないものを作っている感覚がある。
こうして偉そうなことを言っていても実力が全然足りていないので、
いろんな人の力を借りて、見た目のきれいなものを作っている。
だけどハリボテのようで、なんの価値も感じることができない。
いっそ割り切って
徹底的に目の前の人=依頼主を喜ばせるものを作ればいい。だけれどそれができない。
なぜできないかと聞かれれば言葉に詰まってしまう。
やりたくない、意義を感じない。何を作ればいいかよくわからない。何も見えない。
そう思うと同時に、これは甘えなのかな、と自己嫌悪に陥る。
仮に、とにかくチラシを作りたい、この商品の売りを主張したいからデカくしてくれ、素材にお金は出せないから自分が書いたこれを使ってくれ…
とか言われたとして、複数案作って選ばれたのが自分ではなんだか野暮ったく感じるものだったとしても
「チラシが出来上がることが重要」だと思うからできると思う。
…こうして文にして考えてみると、
私自身の仕事への向き合い方として、「やらされている」意識が強いんだろうな。
この仕事との向き合い方がわからない。
周囲の人は作ること自体を楽しんでいるように見える。
自分で考えられるなら楽しいのに、と思ってしまうところに、
デザイナーになのか、社会になのか分からないが向いてないな、と思う。
仕事は仕事と割り切れないのは未熟だと思いながら、
割り切りたくないとも感じてしまう。
そんな反発を胸に抱えたままだから楽しんでいる人の中にいることが苦痛だ。
偉い人から「楽しい?」と聞かれ、何なら嘘でも楽しいというべきだとも言われたが、
「デザインが楽しい」「仕事が楽しい」という嘘を、未だに一度も言えずにいる。
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